「中世の会」2月例会報告:動乱の享徳の乱、景春の乱終結と都鄙(とひ)和睦へ
雪交じりの冷えた2/10金、学習部会・「中世の会」(『中世の東国講読の会』)が2月例会を開きました。担当のM/正彦さんが、{享徳の乱}の終末の頃を読み進めました。今回の登場人物は、長尾景春(かげはる)と太田道灌。ともに、上杉系の内輪の面々。鎌倉府を追われた公方の足利成氏(しげうじ)が、利根川を挟んだ東側、常陸の古河で陣取る勢力の中、西側の上杉系のなかでは景春らの内輪もめも。応仁の乱より10数年早い、関東の大乱ー1454年(享徳3)~1482年(文明14)のざっと30年間の抗争。相模、武蔵、上野、下野、常陸、下総といった関東一円が舞台。京都の足利将軍≒関東管領(上杉系)と反京都ともいえる古河公方との争いは、やっと和睦へと。 講読輪番のM正彦さんの講読は手際よくすすみ、「友の会のバス見学会」では、6月に{埼玉の比企城(嵐山町)行き}や、10月に{伊勢原の大山へ登頂し、道灌暗殺の場所をめぐる計画}も紹介。次回は、3/10(金)午後、{道灌暗殺~長享の乱}へ。『動乱の東国史⑥』吉川弘文館。新規会員の募集中です!。 ◇当日の内容から―輪番担当M/正彦さん◇ 〇{成田陣(熊谷市)に在陣していた太田道灌は、上野金山城(太田市)を訪問して岩松家純と対談した。…道灌は滞在中に一度だけ金山城の四方を見聞して、比類なき名城と金山城を賞賛した。}―”昨年秋、当友の会のバス見学会「新田・太田を巡る」で,雨の中、金山城(かなやまじょう)に登ったよな!”と。堅固な山城へ、ワイワイ登った話へ。 〇{文明十年(1478)に道灌は、長尾景春方の千葉孝胤(のりたね)討伐のために、下総境根原(さかいねはら・柏市)へ出陣し、孝胤と合戦に及んだ…}―”境根原って、麗澤大学の裏の地域、酒井根のことでしょ!”、”松戸から近い”、”団地の所に首塚と胴塚がある!”、”散歩コースだ!”とにぎやかな声に。歴史の現場がすぐそこにあった! 〇{文明十四年(1482)に、ついに幕府と(足利)成氏(古河公方)の和睦=都鄙(とひ)和睦が成立した。和睦の条件は、堀越公方政知に伊豆一国と多少の御料所を渡すというものであった。将軍(足利)義政と天皇の詔勅が、成氏に与えられ朝敵ではなくなった。ここに二十四年に及ぶ享徳の乱が終結した。…』―”24年じゃなくて28年だよね”と、最初の方のページを開き直すことに。 |