年の瀬に近づき、三の酉まである時期、{家内安全 商売繁盛 幸運を呼ぶ縁起物}と題して、葛飾区郷土と天文の博物館の堀 充宏・学芸員による講演会が開かれました。11/20(日)午後、博物館講堂でした。民俗・風習に興味のある市民・会員20人余が参加しました。酉の市、歳の市、縁起物とは?、縁起物には赤い色は何故?、といった説明や歴史。しめくくりは、{科学が発達した世の中でも「縁起を担ぐ」という人々の行為は、すたれることがありません。}と。{縁起物に期待する人々の思い}も語られました。伝統的なイベント、祭りなどを当たり前に見てたこと、眺めていたことが、そこには言われや、時の経過、事件、そして係る人たちのコミュニテイがありました。さらに収入・商売がらみ、地域でのちがいのある由縁とか、奥の深さに気づかされた探訪講演となりました。
以下、お話の一部からです―
〇…葛飾区の博物館に勤めて30年以上になります。生活していく中で、"伝承文化を知る"勉強をしてきました。民俗学という分野になりますが、具体的な事例で紹介していきます(画像を交えてお話しへ)。11/28は浅草・大鷲(おおとり)神社の三の酉です。酉の市は足立区花畑のお寺で鶏を放し飼いにしていたのが、"発祥"と言われてます。"地元では、鶏肉は食べない!"と、言う人もいるとか。辻賭博が盛んでもあったことです。
〇浅草の大鷲(おおとり)神社は、長谷寺(ちょうこくじ)と一対の「酉の市」で賑わいます。明治時代の神仏分離で別々の入口になっています。飾り熊手(かざり・くまで)が、手拍子のもと派手に売られてます。"ヒトの頭(かしら)になれる!ように"、という飾りものです。"値切るのが習わしであり、値切った分は御祝儀にして渡す!"というのが風習!。新宿の花園神社、横浜、巣鴨など酉の市は、客層や飾り物の大小にちがいもみられる。北関東では「恵比寿講(えびすこう)」として、養蚕の盛んだった足利・桐生・佐野などでにぎやかです。
〇「歳(とし)の市」では、歳末、「枝成金(えだなりきん)」という縁起物を笹竹につるして売られてます。…川魚を売る店が多いとか、柴又帝釈天にもあります。…大宮氷川神社の"十日市"の例、かつては、いわき市の琴平宮(ことひらぐう)は沿岸の漁港の街々からの信仰が多く、駅から巡回バスも出たにぎやかさ。関西では「十日戎(とうかえびす)」が有名―"商売繁盛、ササもってこい!"と―"エビスさんは耳が悪いから、お寺の裏側へ回って参拝するのだ!"とも。
〇縁起物に、飾り海老を真ん中にした「しめ飾り」がある。浅草、神田明神、芝、回向院などでは、いまもみられること。江戸時代から戦後まで、東京近郊の農村地帯での副業として作られていた。葛飾・江戸川・足立の農家では、現金収入としてはおおきかった。玉飾りのちがいとか、自動車用とか部分だけ作るとか、地区によって競合が避けられ、技術の向上もあった。「しめ縄飾り」の材料の稲は、普通の稲作の藁ではなく、専用の品種の稲なのです。丈の長い、みどり濃いあざやかな葉で、実になる前に刈り取られるのです。
〇本物の伊勢海老を飾りにするには、腐らないように加工する特別な技術がいります。正月になると、国技館、高島屋、三越本店などには、"本物の伊勢海老のしめ飾り"が見られます。葛飾区青砥の若松店が親子二代で技術を継承してきましたが、いまは鴨川の魚店に継承されました。―詳細な、お話しが続くなかで、この日、一番の熱心なお話しでした!。伊勢海老そのものの収穫のこと、加工の仕方、ヒゲや足が折れないように、折れてしまったら どうする!、「どろ海老』という模型ものへ。漁獲時期や大小の法律規制に対しての、伝統の継続とのかかわり、取材したときの思い出いっぱいの報告。
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以上は、休憩前までのお話し。後半は、"際物(きわもの)"と呼ばれる商売ものに係る品物、地域、人々への深堀りへ。江戸近郊農家による縁日・吉日の、その一日が過ぎれば価値の無くなってしまう蓮や菖蒲の花・つくりものの例。だるま市の話―だるまの目のある/なし、ダルマは何故赤い、各地のだるまの例。"縁起物にはなぜ赤が多い?"、コレラ-・疱瘡への縁起もの、農村の雨ごいへと話しは広くなる。etc.。略。
*"民俗学"という言葉は、冒頭の一言のみ。全て、"実材料、多彩な記録と比較、人々の営み"に迫るお話しでした。
(聞き手・松尾)