『松戸市史』虚無僧(こむそう)・尺八・一月寺を学ぶ 松史会 №650.
松史会の新年例会1/9(木)午後は、『松戸市史中巻・近世編』(全850頁)のうち、虚無僧や尺八の話から始まりました。1月例会の輪番者、Mさん(中金杉)は”江戸編三周目・36番目”として、「普化宗(ふけしゅう)一月寺(いちげつじ)」(640頁~)を読みました。松史会はこの3年、江戸時代の初期・中期を読み進み、過去1年には「近世後期の松戸」について、小金・宿駅・助郷・家並絵図・関所の項を読み終えてます。 *今回の{虚無僧・尺八・一月寺}には、興味のある方は、3月例会:3/5水、4月例会:4/9水。13:30~15:30、博物館実習室に、直接、一般無料・学習会に御参加ください。次回の学習部会の松史会は、2月例会は冬休みで、3月例会からです、お待ちしてます。 ●前月には、江戸時代の松戸における寺院は、どのくらいあり、宗派は?、経営は?、本土寺は?、萬(万)満寺は?、檀林めぐりとは?、などの宗教分野の話です。村上さん(六高台)が講読されました。今月は、松戸ならではの特色である、「虚無僧(虚無僧)」に関わる小金(こがね)の「一月寺」のことが、とりあげられました。(現在の「一月寺いちげつじ」ではなく、江戸時代の「一月寺」のことです)。 ●松戸市内の小金にある一月寺は、普化宗という、{経典もなければ仏事も行わず、経文の代わりに尺八を吹くという変わった宗派}です。鎌倉時代、執権北条氏の帰依を受けていたそうです。今月は、普化宗の歴史、江戸初期の一月寺、本寺・末寺の分布表など、となりました。 ●{…普化宗の本末制度が確定したと考えられる延宝5年(1677年)以前の正保期に、江戸府内に一月寺の控え番所が8か所もあり、明暦大火後にも浅草や早稲田、芝金杉に控え番所があったということは驚きである。…}(649p)。 ●{…宝暦9年(1759年)7月の「寺社奉行宛御触書」、及び同年10月の「寺社奉行書付」の中では、少なくとも、このときから幕府は入門制限を実施し(*百姓町人・尺八遊芸人らの排除)、武士だけに虚無僧の「免許状である本則」の付与を認めているようだ。}(655p)。次回以降、普化宗寺院の経営・虚無僧と尺八・虚無僧の修行・仙石騒動と一月寺へと、輪番者が続きます。 |